モンテヴェルディ作曲 オペラ

『ポッペアの戴冠』

プロローグと全3幕
<ルネ・ヤーコプス版による>

台本:ジョヴァンニ・フランチェスコ・ブセネッロ


Claudio MONTEVERDI1567-1643"L'Incoronazione Di Poppea"

Libretto da Giovanni Francesco Busenello


NAXOS MUSIC LIBRARY


プロローグ
 
(天上界で、運命、徳、愛=クピドの三者のうち、誰がもっとも優れているかを競う。勝利は愛にもたらされる)
 
Sinfonia Avanti il Prologo
 
運命 おお、徳とやら、己の姿を隠して祈るがよい。お前は既に至らざる者。神々の信用も失っている。
寺院を持たぬ宇宙の創造主、帰依する者も、祭司もない女神なのだ。
 
  使い古された、時代遅れの、呪われ欲されざる者。
  私と比べようとて、常にいかほどのものですらないのだ!
 
かつては女王であったのに、今や食い扶持と衣を乞う卑しき身、
 
  名誉と尊敬をともに売り渡してしまった者よ。
 
お前の追従者たちも、私を離れては熱も輝きも無い、画に描かれた炎のようなもの。
ただ光り無く、死んだ心を残すのだ。
 
  徳を追う者は、富も名誉も得る望みはない、そう、この運命に恵まれないならば。
 
行け、消え去るのだ、不幸の元凶よ、人を誑かす卑しき者、分別の無い軽率なる女神よ。
私こそが人々の栄光に至る正しき途、人々に智慧を教えるしるべの星である。
 
  オリュンポスへの舵取りをなそう。
 
私こそ、あらゆる嘘を捨てて自認しよう、純粋にして不朽なる、神々の魂のうちに生きる者であると。
 
Sinfonia
 
愛(クピド) お前たちよ、誰がそのようなことを思うのか。たとえ全世界をお前たち二人で分けようとも、
その支配と掟はこの愛のうちにこそある。お前たちよりも偉大なる神とは誰であるか?
徳よ、教えよう。運命よ、従うのだ。
 
  幼くはあっても、いにしえよりすべての神々に勝る、私は永遠なる者。
  私を崇め、跪拝し、そしてお前たちの支配者と呼ぶがよい。
 
運命と徳   愛と争うなどと、人も神も思うまい。
 
愛(クピド) さあ、この論争も片がつき、お前たち二人は論破された。
私の会釈ひとつで、この世界が変わることを認めるがよい。
 
 
第1幕
 第1場
 
(場面はポッペアの宮殿へ。オットーネと、眠りこけている二人のネローネの衛兵がいる。
夜明け時、ポッペアの夫オットーネは宮殿の外に立ちすくみ、愛する女への想いを吐露する。
衛兵たちが眠りに落ち、ネローネもまた幸せそうに眠るその時、オットーネは自らの苦悩を嘆く)
 
Sinfonia
 
オットーネ   的を目指す矢のように、燃えさかる太陽の炎のように、海の嵐のごとく、わき目も振らずに帰ってきたのだ。
  明りは見えなくとも、己のうちに太陽があるのだから。
 
Ritornello
 
愛しき人の住む家よ、わが愛の住まうところよ、脚もまたこの心も、あなたの前に平伏しよう。
  
  ポッペアよ、窓を開けておくれ。私を魅了するその顔をみせてくれ。
  この心も、私の日々も、ただあなたの後をついていくのだから。
 
Sinfonia
 
  夜が明け、この暗雲が追い払われ、そしてあなたの目覚めを祝福しよう。
 
だが、私は何を見ている?不運なる者よ、これは幻でも幽鬼でもない、ネローネの衛兵だ。
おお、不吉な風に向かい、この苦悩を告白しよう。路傍の石にあわれみを懇願し、大理石から慰めを得よう。
涙にくれて、眠るネローネをその胸に抱くポッペアの姿を追い求める。
彼は衛兵たちに、その身の警護を託していよう。おお、この安穏の不幸なることよ。衛兵たちは眠りに落ちている。
ああ、不実のポッペア、私の心に火をつけたあの誓いはどうなったのだ?
おお神よ、これが現実だというのか?
あなたを追い求め、あなたを慕い、あなたに仕え、あなたを崇め、あなたの頑なな心を開くために涙を流し、
あなたに自らを捧げるオットーネがここにいるというのに。
その胸に私を掻き抱いてくれるという約束に、至上の喜びを感じていたのに。
 
  私はそれを信じて希望の種子を撒いたのに、神々も天使たちも私に抗おうとするのか。
 
 第2場
(ネローネの衛兵が目を覚まし、眠れなかったと文句をいい、ポッペアとネローネの噂話、宮廷の世間話をする)
 
第1の兵士 誰だ、喋っているのは?
 
オットーネ   たとえ破滅の苦しみがあろうとも……
 
第2の兵士 いったい誰だ?
オットーネ わが報いよ。
第1の兵士 そこに誰かいるのか?
第2の兵士 戦友か?おい、戦友?
第1の兵士 はは、まだ夜明け前じゃないか!
第2の兵士 おい戦友、どうした、寝言を言っているのか?
第1の兵士 朝が来ちまった。
第2の兵士 すぐに起きないと。
第1の兵士 瞬きする間も眠れなかったぜ。
第2の兵士 よっこらせと、さあ、立哨に戻るとするか。
 
第1の兵士   ポッペア様とネローネ様ときたら、いちゃつきやがって。ローマだの軍隊だの、くそくらえだ。
  こちとら日がな一日、独り身をまぎらわすことも出来ねえときてる。
 
第2の兵士 わが皇后様は一日中泣き暮らしているのに、ネローネ様はポッペア様に夢中で見向きもしない。
 
  アルメニアが謀反を起こしても気にもしない。パンノニアが叛乱の狼煙を上げても笑っているだけ。
  そしてこのざまさ。帝国はますます混乱するだろうよ。
 
第1の兵士 そのうえ我らの皇帝陛下は民衆からなけなしの報酬も奪っちまうときてる。
正直者は馬鹿をみて、悪党はいつまでものさばるのさ。
第2の兵士 彼はセネカ先生の言うことしか信じないんだ。
第1の兵士 あの老いぼれ盗っ人か?
第2の兵士 こすいキツネ野郎さ。
第1の兵士 あの悪辣なご機嫌とりは、自分の友人を裏切って私腹を肥やしているんだ。
第2の兵士 あの不敬な大工は、他人の墓の上に自分の家を建てたらしいぞ。
第1の兵士 こんなことは誰にも言えねえ。信用おける奴にも用心だ。いつもつるんでいるお前もな。
 
第1の兵士と第2の兵士   そうさ、奴らの目つきで分かるのさ。馬鹿な真似はしちゃいけない。
 
第1の兵士と第2の兵士 おっと、日が昇っちまった。おしゃべりはやめだ。ネローネ様に聞こえるからな。
 
 第3場
(朝まだき、ポッペアとネローネが互いに抱き合い、愛おし気に別れを告げあう)
 
ポッペア   あなた、どうか行かないで。
  この手の首に巻かれるままにしてほしいの。
  あなたの色香が私の心にからみついているように。
 
ネローネ   ポッペアよ、行かなければ。
 
ポッペア お願いだから行かないで頂戴。夜が明けても変わるものはないわ。
あなたは太陽の化身、私の光、いのちの喜びなの。
どうして早く去ろうとなさるの?どうかさよならなんて言わないで。
辛い言葉だわ、胸がつぶれて悶え死ぬようよ。
ネローネ お前の高貴な生まれゆえ、ローマの人々がわれらのことを知ってはならぬのだ。
少なくともオッターヴィアが……
ポッペア 何ですの?
ネローネ オッターヴィアがいなくなるまでは……
ポッペア いなくなる?
ネローネ 余と離婚し、余のもとを去るまではな。
 
ポッペア   わかりましたわ、あなた。
 
ネローネ   この胸の奥からこぼれるため息とともに、このくちづけとともに、
  おお、恋人よ、さらばだ、またすぐ会えるだろう。
 
ポッペア   私とともに居ないときも、あなたはいつも私と一緒。
  あなたの心に私がいるなら、私がその胸に隠れているなら、
  あなたの目には見えなくても。
 
ネローネ 愛らしいその瞳よ、さらばだ。ごきげんよう、ポッペア、余の心を奪い去った、余の光よ……
ポッペア いいえ、そんな言い方なさらないで。辛いわ。心が折れて死んでしまう。
 
ネローネ   大丈夫だとも。お前はいつも余と一緒だ。
  余の胸のなかで輝く、余の心の女神なのだ。
 
ポッペア 戻って来てくださる?
ネローネ たとえ別々にいても、私はお前と一緒だ。
ポッペア 戻ってくださるのね?
ネローネ お前のしるしであるこの心は、決して変わらぬ。
ポッペア 戻って来てくださるわね?
 
ネローネ   お前と離れて生きることなど出来ぬ。
  誰にもそんなことはさせぬのだ。
 
ポッペア そうよね?
ネローネ 戻って来るとも。
ポッペア いつ?
ネローネ すぐにさ。
ポッペア 本当?約束してくださる?
ネローネ 約束するさ。
ポッペア 守ってくださるわね?
ネローネ 互いに惹かれあっているのだ。
ポッペア さようなら、ネローネ、ごきげんよう。
ネローネ しばしの別れだ、わが宝、ポッペアよ。
 
 第4場
(ポッペアは信頼する乳母アルナルタに自らの野心を語る。
アルナルタは、立場の高い者や幸福を安易に信じないようにと警告し、諭す)
 
ポッペア   希望よ、お前はこうしてやって来て、私を愛でる。
  私の心を悦びで満たし、気高く、そして見えないヴェールで包み込む。
  そうよ、私に恐れるものはない。
  愛と幸運が私の味方だもの。
 
アルナルタ ああ、お嬢様、そうした睦みあいが、ある日お嬢様の不幸のもとになりはしないかと、
神様はお考えではないでしょうか。
 
ポッペア   いいえ、私に怖いものはないの。
 
アルナルタ 皇妃オッターヴィア様は、ネローネ様を深く愛しておいでです。
だからこそ、私はお嬢様のことがいつも心配なのです。
 
ポッペア   愛と幸運は私に加勢しているわ。
 
アルナルタ 皇帝陛下や皇后陛下にちょっかいをお出しになるのは危険です。
愛憎の思いだけでどうにかなるものではありません。
あの方たちの関心は、ご自身のことにしかないのですから。
 
  もしネローネ様が、お嬢様を愛しておいででも、
  喜ばしいことであるとは限りませんわ。
  もしネローネ様がお嬢様を見捨てても、
  その悲しみとて何の役にもたちませんわ。
  沈黙こそ宝、必要悪というもの。
  決してあのお方と対等にはなり得ません。
  もし結婚が目的ならば、身の破滅を招くことになりましょう。
 
ポッペア   いいえ、私は何も恐れないわ。
 
アルナルタ   ポッペア様、よくご覧くださいまし。
  愉悦と悦びに満ちた草原にも、毒蛇が待ち伏せしています。
  運命の導きは、凶事の前兆かも知れません。
  嵐がやって来る前には静けさがあるように。
 
ポッペア   いいえ、怖いものなんかない。愛と幸運は私の味方。
 
アルナルタ   盲目の少年といい年したご婦人が幸せになれるなんて、それこそお笑い草でしてよ。
 
 第5場
(場面はローマの町へ。皇妃オッタヴィアは夫ネローネの不倫を非難しながら、
乳母であったナトリーチェに悲しみを訴える。
ナトリーチェは冗談めかして、気晴らしにあなたも新しい恋人をつくってはどうかと唆す。
だがオッタヴィアは一顧だにせず、自らの愛に堪えようとする)
 
Sinfonia
 
オッターヴィア   私は惨めな皇妃、ローマ皇帝の不幸な妻。
 
どうすれば良い、何処へ行けば、何を思えと言うの?
女という性の悲しさ。もし神々や自然が私たちを自由の身に置いたというなら、
結婚は牢獄のようなものだわ。
男の子を生むというのは、無情な暴君を育てるのと同じ。
私たちは、己を惨殺し、血を流す、狂った殺人者に乳をふくませているようなものよ。
自分を死に至らしめる、不名誉な運命に従わされている。
ネローネ、ひどいわ、私の夫のくせに。この悲しみは、許しはしない。永久に呪ってあげる。
何処にいるの?ポッペアの腕のなかで、幸せと悦楽にひたって休んでいるのね、
止まることのない涙は、あなたが夢見ている間さえ、
河のように流れてその水面に鏡の如く私の苦しみを映し出しているというのに。
 
  運命よ、もし天上に住すなら、ユピテルよ、私の願いを聞いて下さい。
  もしあなたが、ネローネを罰する天のいかずちを落とさないというならば、
  その弱さと不正義を呪ってやりましょう。
 
その無法な悪行を、後悔させてやりましょう。
そうして私はそっと、この苦しみと痛みを押し殺すのです。
 
ナトリーチェ オッターヴィアよ、オッターヴィア……
オッターヴィア おお、神様、神様、どうかお怒りをお鎮め下さい、私の罪を厳しく咎めないで下さいまし。
ナトリーチェ オッタヴィアよ、あなたは皇妃なのよ。
オッターヴィア 人からは馬鹿馬鹿しく見えるでしょう。でも心の中は純粋なのです。
心は無垢のまま。言葉だけが罪を犯したわ。
ナトリーチェ あなたの衷心からの友の言葉をお聞きなさい。
 
  もしネローネが血迷って、ポッペアと愛しあうのなら、
  あなたも誰か他にいい人をお探しなさい、
  あなたの腕の中で夢を見たいという男を。
  ネローネが不倫の恋にご満悦ならば、復讐の恋を愉しめばいいの。
  もし自責の念が心を乱しても、あらゆる苦しみは喜びに転ずる、
  この私の言葉を思い出しなさい。
  俗な女なら侮辱を耐え忍ぶけれど、地位ある者は侮辱に抗うのよ。
 
オッターヴィア まあ、あなた、何を言うのです、女好きの夫に不義をはたらかれようと、
名誉を失ってはなりません。
婚礼の寝台を汚す夫のほうこそが不名誉の謗りを着るべきよ。
 
ナトリーチェ   あなたは復讐の妙味を分かっていないのね。
頬を平手打ちされる屈辱は、
  鋼鉄の如き死の復讐よ。
あなたの気持ちを踏みにじったあの男は、
  自身の名誉を滅ぼすのです。
本当のことを言いましょう、あなたが仕返しをしなくても、
ネローネはあなたにひどいことをするわ。
あの男の評判に傷をつけてやるのよ。
  私の言ったことをよくお考えなさいまし。
  どんな難儀も悦びに転じるものであることを。
 
 第6場
(セネカはオッターヴィアを励まし、気をしっかり持つようにと語る。
オッターヴィアの小姓ヴァレットが、皇妃の気晴らしのために、オッターヴィアが尊敬するセネカをからかう。
その後、オッターヴィアは神殿に祈りを捧げに行く)
 
セネカ この悲しみの女を見よ、皇妃にして、苦悩の捕囚であるこの人を。
おお、偉大なる皇妃よ、慎み深く、光り輝き、誉れ高く崇高な、そのやんごとなき身にありながら、
そのおん眼差しに相応しからぬ涙が宿るとは。
 
  運命よ、この悲しみゆえに、さらにその美しさを偉大ならしめよ。
  石も打たれれば閃光を放つ。そなたもまた、運命に打たれ、力と不屈の高みに輝き、
  美にも増して偉大なるものを生み出すのだ。
  光のなかにまみえるそなたの美しき姿は、その失われた日々によりて豊かに輝くだろう。
  徳を保てば、運命や宿命の翻弄、何があろうとも決して怯むことはない。
 
オッターヴィア 苦しみのなかにあって慰めを、苦痛のなかにも名誉を与えて下さるのね。
でもお許し下さい、セネカ様、あるのは見せかけと空虚、巧妙な詭弁、そして無力な私なのです。
 
ヴァレット   失礼ながら奥方様、この口の上手い道学者先生は信用なりませんわ。
  こやつの戯言にはユピテル様もお怒り。腹立たしいたらありゃしない!
  ケチな衒学者のくせして!そのご立派な口上で皆を夢中にさせても、私はお断りよ。
  この頭のなかにあるのは、ただの思いつきばかり。
  なにやら勿体ぶっているけれど、まったくいい加減なものばかり!
  奥方様、彼が道を説くなどというのは、クシャミかアクビをする様なものですわ。
  あまりの有難さに、この長靴まで大笑いよ。
 
オッターヴィア ネローネはポッペアと一緒になるために私を離縁しようとしています。
そんな破廉恥なことをして、悦に入っているのです。
私は神殿で祈りを捧げますわ。どうか、人々の前で、元老院で、私の窮状をお訴えくださいまし。
 
ヴァレット   もしあんたが私たちの皇妃様に助力しないなら、そのあごヒゲとあんたの書斎に火をつけてやるわよ。
 
 第7場
(しばしの間、一人になったセネカがこの世界の崇高さについて考察する)
 
セネカ 鋭い棘と苦難という装束に織り込まれた王位や帝位は、不幸の親王なのか。
かの輝ける冠は、ただその悲哀によってのみ崇められるのだろうか。
王たる者の偉大さとは、表面の虚飾やこれ見よがしの苦悩にあるのではない。
 
 第8場
(パッラーデが天国からセネカの死を予告する。時が来たなら、メルクーリオの言葉を借りてそれを伝えると。
何故なら、セネカは徳ある者であり、パッラーデの覚えがめでたいからだ。
セネカは熱心に彼女に帰依していたのである。)
 
パッラーデ セネカよ、天国で不吉な予兆を見た。そなたが破滅する予兆だ。
もし私がそなたの最期を予期したなら、メルクーリオの警告を通じてそれを伝えよう。
 
セネカ   死が容赦ないほどに強靭であっても、私は不幸と恐怖に抗いましょう。
そして暗黒の日々が過ぎ去った後に、
  死は終わり無き一日の夜明けとなるのだ。
 
 第9場
(ネローネは、自分のやりたいようにやるのだとセネカに言い、
セネカは道徳と政治の理を説く。ネローネは激怒し、彼を目の前から追い払ってしまう)
 
ネローネ 余はついに決心したぞ。師セネカよ、オッタヴィアを妻の座から追い、ポッペアと結婚する。
セネカ 陛下、有頂天の心の隙には後悔がひそんでいるものですぞ。
いっときの感情というものは、法を軽視し、理性を侮る、悪しき道に人を導くもの。
ネローネ 法は願望を満たすためにあるのだ。
もし余が望めば、古い法は廃止され、新たな法が定められるのだ。
ユピテルの治める天国が分断されようとも、
  この地上の王は余である。
セネカ 節度を欠いた希望は、希望とは言えませぬ。もはや、〔独白:お許しを〕狂気ですぞ。
ネローネ 厳しい法というものは、それは従うべき者のためにあり、命じる者のためにあるのではない。
セネカ 非道な支配こそが、むしろ恭順を損なうのです。
ネローネ 講釈はそこまでだ、余は自らのやりたいようにする。
セネカ 市民や元老院を怒らせてはなりません。
ネローネ 民や元老院のことなどかまわぬ。
セネカ   ご自身とその名誉のために、どうぞお考え下さい。
ネローネ 余に意見するならば、誰であろうとその舌を抜いてやるぞ。
セネカ 陛下が切り取る舌が多くなれば、それだけご批判も多くなりましょうぞ。
ネローネ オッタヴィアは不感症のうまずめだ。
セネカ 咎無き人という者がおりましょうか。
ネローネ 欲するものを得ることが出来る人間には、道理などいらぬ。
セネカ 不実なる行いの中に安楽はありませんぞ。
ネローネ 正義は常に最も強い権力のうちにあるのだ。
セネカ ですが、治めるべき道を知らぬ者は、必ず衰退します。
 
ネローネ   平時の権力と法、戦時の剣には……
セネカ   暴力は憎しみを煽り立て、血を迷わせます。
ネローネ   道理など無用のものだ。
セネカ   道理は人と神々とをともに統治するもの。
 
ネローネ   お前は余を怒らせた。
  お前が何を言おうと、民や元老院、オッタヴィアがどうしようと、
  天国と地獄がどうなろうと、正義だろうが不正義だろうが、かまわぬ、
  ポッペアは余の妻となるのだ!
 
 第10場
(ポッペアとネローネが睦みあう。ネローネはポッペアの美貌の虜になり、彼女を皇妃にすると約束する。
ポッペアが、セネカが邪魔だと唆したので、ネローネはセネカの死を命じる。
ポッペアは彼女を出世に導く愛に従順なのである。この場面を、身を隠したオットーネが見、聞いている)
 
Sinfonia
 
ポッペア   私のいい人、ねえ、甘く楽しい夜もすがら、私の唇を奪ってくださるかしら?
ネローネ   悦楽に満たされて狂おしくな。
ポッペア   黄金のりんごのような私の乳房も?
ネローネ   そなたの胸は甘いであろうな。
ポッペア   私の腕のなかでとろけてくださる?
 
ネローネ   愛する者よ、もう一度、その腕に抱いてくれるなら!
  ポッペアよ、息も出来ぬくらいにな。
  そなたの唇を見上げながら、私のキスがお前の胸に引き起こしたのと同じ、
  愛の炎に包まれよう。
  今や余の目指すのは天国ではない。
  ここにこそある、ルビーのように輝くそなたの唇なのだ。
 
ポッペア   あなた、なんて甘い言葉かしら、繰り返し思い出すと、この心もとろけてしまう。
  言葉で聞き、キスで酔い痴れる。
  大好きなあなたのお声は、甘美で刺激的なの。
  でも、この耳を愉しませるだけで満足しないで、
  私のなかに入り込んで来て、この心にあなたのキスで印をつけて頂戴。
 
ネローネ 民と国の運命を支配する、この輝ける王冠を、余はお前と分かち合いたいのだ。
お前が皇妃となるなら、余は幸福だ。
 
  いや、余は何を言っているのか、ポッペアよ?
  ローマなどそなたの素晴らしさに比べればちっぽけなもの、
  イタリアでさえ、そなたへの賛美を歌うには凡庸に過ぎる。
  そうだ、そなたこそが、ネローネの妻と呼ばれるにふさわしき者。
  そなたが涙するならば、すべての自然は光彩を放ち、天国を求めて争うこともせず、
  沈黙と驚愕を以って賞賛されるだろう。
 
ポッペア   あなたがお命じになるならば、
  この心は崇高な希望の高みへと昇りましょう。
  そして私は、慎ましやかに新しき命を得るのです。
 
でも、この婚約の邪魔立てをしようという愚か者がいるの。
あなたの師セネカよ、ストア派の、口のうまい哲学じじいだわ、
あの男は、民衆に吹き込んでいるのよ、すべからく王権たるものは己の学説に依拠すると。
 
ネローネ な、何だと?
ポッペア だから、あなたの王権もあの男次第だと。
ネローネ あのおいぼれめ、ふざけおって。
ポッペア そうなのよ!
ネローネ おおっぴらにか?
ポッペア おおっぴらによ。
ネローネ (衛兵に向かい)
おい、誰でもかわまぬ、直ちにセネカのもとへ行き、今夜のうちに自刃せよと通告しろ。
これは余の裁定だ、他の誰によるものでもない。
卑しい奴隷のように他人の指図を受けるくらいなら、余は己の能力以外のものを拒否する。
  ポッペアよ、元気を出すのだ。
  今日こそ、愛が為し得る業を見ることになろう。
 
 第11場
(オットーネは、ポッペアに対する苦しい希望を吐露して、彼女の移り気を責める。
ポッペアはそれを蔑みながら、自分はネローネのものだと言って立ち去る。離れたところにアルナルタがいる)
 
Sinfonia
 
オットーネ   大勢の人たちがいて、ワインを飲み始めたのさ。けれども私は酒壜を眺めているばかり。
  ネローネがやって来てドアが開けられた。けれども私は家の外につまはじき。
  彼はテーブルにつき、食欲を満たす。
  私は苦しい断食のうちに飢え死にするのさ。
 
Ritornello
 
ポッペア   不幸な星めぐりを他人のせいにするのはお門違いだわ。非難すべきは自分自身よ。
  あなたの惨めな様は私のせいではないし、これからもそう。
  運命の賽は投げられ、点数がつけられる。
  結果の良し悪しは、あなた次第なのよ。
 
Ritornello
 
オットーネ   待ち焦がれた希望と願いの果実は、他の者の手に落ちてしまった。
  愛は私を拒んで、なおいっそう私の愛惜を強めるのだ。
  幸福なネローネは甘い果実を味わい、
  私はといえばただ涙を飲むばかり。
 
Ritornello
 
ポッペア   運命はあなたに禿げたこめかみを与え、他の者には結った髪を贈ったのよ。
  それで他の者が満たされるならば、あなたより幸福だったということ。
  あなたの不幸は私のせいではないわ。
  非難するなら自身とその運命に対してなさいな。
 
Ritornello
 
オットーネ   愛しいポッペアよ、私はこの堅い愛の覚悟が、
  あなたの憐れみを呼び覚ましてくれることを望んでいた。
  だがその白い乳房はまるで大理石のよう。
  私の希望の墓標なのか。
 
Ritornello
 
ポッペア   もうこれ以上私をなじらないで、お願いするわ。じっと苦しみに耐えて頂戴、大人しくね。
  私をどうにかしようとするのは、もうやめて。
  ポッペアは皇帝の命令にだけ従う女。熱くなった心と瞋りを鎮めて頂戴。
  私は玉座に昇るためあなたと別れるわ。
 
オットーネ そんな野望と悪徳が世を治めるというのか?
ポッペア 私こそあなたの正気を欠いた思いつきを窘めるわ。
オットーネ これが愛の報いだというのか?
ポッペア 悪いけど、その通りよ!もうやめて。私はネローネのものなの。
 
 第12場
(一人になったオットーネは自暴自棄になり、ポッペアに対する怒りを燃やす)
 
オットーネ   オットーネよ、気を確かに持つのだ。
 
あの女は人間の姿をしているが、その内実に人間らしさなどさらにない。
 
  オットーネよ、落ち着くのだ。
 
あの女が求めているのは権力だ、それなら私の人生の目標ではない。
あの女は、ネローネが私のかつての愛情を聞き知ることを恐れて、
私の無垢に付け込み、力に頼んで人を唆し、私を大逆の罪で誣告しようとするだろう。
権力を使った誹謗で、名誉と無実の命を滅ぼそうというのだ。
 
  私は剣か毒を持って、あの女を待ち伏せてやろう。
  胸の中に毒蛇を飼う必要などないのだ。
 
裏切者ポッペアよ、お前はこうして、こうして愛を終わらせようというのだな?
 
 第13場
(侍女ドルシッラは、かつてのオットーネの恋人である。ポッペアに拒絶されたオットーネは、
再び彼女に愛を誓うようになる。彼女は愛を取り戻したことを喜び、第一幕は終わる)
 
ドルシッラ あなたの心はまだポッペアのもとにあるのね?
オットーネ 私の心はもう離れてしまったよ。愛を裏切った無情な女の名前など、この心から消してしまいたいさ。
 
ドルシッラ   愛の裁きは時として正義に貢献するのよ。
  私にとってあなたは憎い人だった。
  けれども今、人々はあなたの苦しみを哂っているわ。
 
オットーネ   私はあなたの忠実な僕だった。
  誰にも臆することはない、ドルシッラ、私はただあなた一人のものだ。
 
許しておくれ、私の過去の不躾な振る舞いを。あなたが私を責めなくても、私は罪を告白しよう。
そしてたましいに誓って自らを悔い改めよう。
 
  命に懸けて、私はあなたを愛する。
  あなたを苦しめ、あなたを裏切ったこの心は、いま過去の過ちを悔やんでいる。
  これからは、下僕として友として、あなたに身を捧げよう。
 
ドルシッラ   本当に忘れられるの?
  オットーネ、本当に、私のまことの愛を分かってくれて?
 
オットーネ 本当だとも、ドルシッラ、勿論さ。
ドルシッラ 嘘じゃないかと不安なの。
オットーネ ドルシッラ、嘘なんかじゃない。
ドルシッラ オットーネ、私はまだ信じられないの。
オットーネ 誓って嘘なんかつかない。
ドルシッラ 愛してくださる?
オットーネ あなたがほしいんだ。
ドルシッラ でも何故、突然に?
オットーネ 愛とは火のようなもの、突然燃え上がるもの。
ドルシッラ 突然の幸せが私を満たしてくれる、でも不安なの。
愛してくださる?愛してくださるのね?
 
オットーネ   あなたが必要なのだ。
  その美しさに惹きこまれる。
  あなたは私の心に新たな姿を刻みつけた。
  奇跡を信じて、己の過去に復讐しよう。
 
ドルシッラ   喜びを抱いて歩き出しましょう。
  オットーネ、幸せだわ。
  皇妃様のところへご報告にまいりましょう。
 
オットーネ   彼女は私の心のすべての嵐を鎮めた。
  オットーネはドルシッラただ一人のもの。
  けれどもこの思いとは裏腹に、苦おしい愛が頭を擡げる。
  私はドルシッラにくちづけしながら、心にポッペアを描く。
 
 
第2幕
 第1場
 
(セネカの邸宅にて。パッラーデによりメルクーリオが地上に遣わされる。メルクーリオは、
セネカに、今日中に死の宣告があるだろうと伝える。死の恐怖に萎縮することもなく、
セネカは天上の神とメルクーリオに感謝を陳べ、メルクーリオはその言葉を携えて天界へと帰る)
 
セネカ   愛すべきこの孤独、魂の隠れ家、静謐なる思索の場所、智慧の喜びよ、
  凡庸なるこの地上にあって、わが法悦の心が帰すべき、天上界の姿を想念しよう。
  正義を忘れ、無謀かつ不遜にも私の忍耐を試すというのだ。
  生い繁る枝葉と草の中で、平和に抱かれて私は眠るだろう。
 
メルクーリオ   天上界のまことの友よ、あなたが独りになる時を私は待っていました。
 
セネカ   いつだ?いつ私は、天上界の客人を迎えるに足る者になったというのか?
 
メルクーリオ   至高の徳があなたを満たし、神のごとき人としました。
  それゆえ、天上界からの報せを聞く恩恵に浴すのです。
  パッラーデは、このか弱き命の終わりが迫っていること、
  そして永遠と無限の生命へと道がつけられていることを伝えるために、
  この私を遣わされました。
 
セネカ おお、なんと喜ばしいことだろう。
人として生きながら、その死の後には神々の一人として命を得るとは。
感謝しよう、私の最期を申し伝えるために来てくれたことを。
  今こそ己の説いてきたこと、思索を証すのだ。
  神聖なる言葉によりて来る死は、即ち祝福なのであると。
 
メルクーリオ   喜びのうちに、天上界への旅支度を、荘厳な道行きの準備をなさい。
  光り輝く至高の場へと、道案内いたしましょう。
  さあ、セネカよ、わが翼が指し示す、その方へと。
 
 第2場
(セネカは、ネローネを護衛する解放奴隷リベルトの一人から、死刑の宣告を受け取る。
セネカは決然として、この世に別れを告げる準備をはじめる)
 
リベルト 暴君の命令は道理などわきまえないものです。暴力と死によって出来ているのですから。
私はその命令をお伝えする義務を負った、ただの伝令に過ぎません。
けれども、この悪徳の共犯者であるとあなた様はお考えになりましょう。
セネカ殿、あなた様をお探ししていたのに、こうしてお会いしたとなると、悲しみがつのります。
私は凶事の運び役、けれどもどうぞ私を恨まないでください。
 
セネカ 友よ、私は長年の間、運命の大波に負けぬ心を培ってきたのだ。
私は、己のいるこの宇宙と一体だ。その知識も私の血肉に等しい。
あなたは自らの使命を果たすのだから、私に許しを乞う必要はない。
  私はその素晴らしい贈り物を、笑って受け取るとしよう。
 
リベルト ネローネ様が私を遣わしたのです。
セネカ もう良い、わかっておる。そなたに従おう。
リベルト どうしてあなた様は私が言おうとすることをお分かりなのですか?
セネカ そなたの話しぶりと、そなたを遣わした者が誰かということで、
二つのことが分かろう。恐ろしい怒りと、残虐さだ。
私が逃れることの出来ぬ運命だ。
だから私には分かったのだ。ネローネはそなたに、私の死の宣告を託したと。
 
リベルト   先生、お分かりになっていたのですね。死と、その死の喜ばしきことを。
  初めて見る太陽のように、光をもたらす日々の到来を。
  人々は、先生のお書きになったものから光明を得ることでしょう。
  喜びのうちに、死へと旅立たれるというのですね。
 
セネカ さあ、行って、日の暮れる前にネローネに伝えるが良い。
私は死に、そして埋葬されたと。
 
 第3場
(セネカは近親の者や、死を翻意させようと忠告する友人たちをねぎらい、
自分が死に赴くための浴槽を用意してほしいと告げる)
 
セネカ   友よ、私が仕えてきた徳を、おこないで証すときが来た。
  苦しみも刹那の間で終わるだろう。
  長き年月、あたかもそこが棲家のように、
  異邦人の如き様でわが胸に宿ってきたあてどない悲しみが、
  この身を去り、オリュンポスの神々のもとへと昇る。
  喜びとともにある、真実のもとへと。
 
友人たち Trio
    死んではいけない、セネカよ、死ぬな。
  私に免じて。そんなことは望んでいない。
  人生は甘美で大空は平和に満ちている。
  どんな苦しみもいかなる悲しみも、全て終わりがある、つまらぬ邪魔者に過ぎない。
  もし眠りに落ちれば、翌朝には新たな目覚めを迎える。
  でもいかに荘厳な大理石の墓標も、それらを取り戻すことは出来ないのだ。
  どうか私に免じて、そんなことはしないでくれ。
  死んではいけない、セネカ、死ぬな。
 
セネカ   皆、行って浴槽を用意してほしい。
  もし人生が通り過ぎる風ならば、私は暖かな風の中で、
  私の無垢の血を以って、死への道行きを染めたいと望んでいるのだ。
 
 第5場
(場面はローマの街へ。侍従と小姓が皇妃を待ちながら、艶っぽい冗談を言い合っている)
 
ヴァレット   確かに感じるな。何かはわからないけど、何だかむずむずして、嬉しくなるのさ。
  可愛いダミジェッラちゃん、それを教えておくれでないか?
  やりたいし、言いたいけど、それが何かわからないのさ。
  君と一緒にいると胸がドキドキするし、いなくなりゃ馬鹿みたいに呆けちまう。
  君の白いおっぱいのことで頭がいっぱい、夢にまで見ちまう始末。
  ああいったい、僕はどうすりゃいいんだろう。
 
ダミジェッラ   ずるい人ね、あんたと遊ぼうと思っているのに。
  すぐに隠れてしまうけれど、本当はその気なのね。
  若い私たちだもの、お楽しみは元気よくね。
  でもあんたは全く素直じゃないわ!
 
ヴァレット   どう始めればいいのかな?
  そんなに素敵なのかい?
  さくらんぼにピール、砂糖菓子だってあげるよ。
もしにがいものなら、蜂蜜みたいに甘くしてよ?
教えておくれよ、可愛子ちゃん、ねえ、教えておくれ!
ダミジェッラ そんなにお楽しみがしたいなら、させてあげてもいいわ!
ヴァレット で、どういうふうにするんだい?
ダミジェッラ どうって?あんた本当に知らないの?
ヴァレット 知らないさ、可愛子ちゃん、だから教えてよ、どうするの?さあ早く。
だって、恥ずかしくなってしまったらどうするんだい。
どうなれば甘くなるのか、知りたいよ!
  いま君が僕のことを好いてくれりゃあ、僕は満足するだろうな。
 
Intermezzo
 
  可愛子ちゃん、言っておくれよ。
  僕のことがほしいなら、イヤなんて言っちゃだめさ。
 
Ritornello
 
ダミジェッラ   ヴァレット、あんたが好きよ。
  いつだって心の中にいるわ。
 
Ritornello
 
ヴァレット ただ心のなかにいるだけじゃダメなのさ、じらすなよ、僕はイッちゃいたいんだ。
利口なのか、馬鹿なのか、僕にもわからない。
そのお口の横の可愛いエクボにでも入っちまいたいよ。
 
ダミジェッラ   あんたに食いついたらどうするの?一日中泣くはめになるわよ。
ヴァレット   好きなだけ食いついておくれよ!泣いたり喚いたりなんかするものか。
  毎日でも食らいついてくれれば楽しいのに……
  そうすれば君のルビーのような唇にキスしたり、
  真珠のような歯が僕をいたぶってくれたりするのにな。
 
 第6場
(セネカの死の報せを聞いたネローネは、親友である詩人ルカーノとともに、
うっとりとしながらポッペアへの愛を歌う)
 
ネローネ セネカが死んでくれた。
  さあ、歌おうじゃないか、ルカーノ、歌おう、
  賛美とともに、自らの手でこの魂に刻み込んだ愛を。
ルカーノ   ええ、歌いましょう、ご一緒に……
ネローネとルカーノ Duo
  人を夢中にさせ、愛に生命を与える、あの笑顔を賛美して。
  理想の愛がおわす、ま白い乳房の上の、生命の泉よ、
  石榴の実にも人の姿を与える、あの神々しい笑顔を讃えて歌おう。
  歌いましょう、インドもアラビアもその前にかしずき、
  真珠と芳香を贈ろうとする、その唇の艶かしさを。
  話していても、笑っていても、不可視の武器のようにこの心を打ちのめし、貫いて、
  死でさえも至福の喜びに変える、その唇のさまを。
  ルビーのようなその唇は、この心を酔わせる花蜜の如し。
 
ルカーノ 陛下、すっかりやられておしまいだ。愛の喜びに有頂天ですね。
眼から甘い涙が落ちていますよ。
ネローネ わが至高の者よ、お前を褒め称えよう。
太陽のようなお前にくらべ、私の言葉は弱々しくゆらめく松明のようなものだ。
  愛しいルビーのような、大切な唇よ。
  私の忠実な心はダイヤのように堅い。
  そうだ、お前の美と私の心、つまり愛は高貴な宝石から出来ているのだ。
 
 第8場
(オットーネはポッペアを傷つけようとしたことに自責の念を覚え、
彼女への望みなき想いに自足する)
 
Sinfonia
 
オットーネ 私はなぜ、怒りと打算に駆られてポッペアを殺そうと考えたりしたのだろう。
おお、呪われた魂よ、どうしてお前は変わらないのか、何故私は、お前を打ち負かし、
罰することが出来ぬのか?
私の愚かな心は、お前が私に与え、私を圧倒し、私を滅茶苦茶にしたその愛を、
どうして厭わしく跳ね除けようとしたのか?
この悪魔のような心を変えるのだ。神よ、その慈悲によりて、汚れ無き心をわれに与えよ!
 
Sinfonia
 
  望むだけ私を蔑み、為し得る限り私を嫌うがよい。
  私はあなたの瞳という太陽に覆い隠される星となろう。
 
Ritornello
 
  運命に抗って、望み無き愛を生きよう。
  私の喜びは、絶望の中にあなたを愛すること。
  あなたの美しい顔から生まれた、この苦しみを愛で慈しみ、あなたに厭われる。
  それもまた、私の至福なのだ。
 
Ritornello
 
 第9場
(皇妃オッターヴィアは、怒りと苦しみから、オットーネにポッペア暗殺を命じる。
身の安全のため、女に変装して実行せよ、と。
オットーネは強い衝撃を受け、混乱したままその場を去る)
 
オッターヴィア そなたは、わが父祖よりその高貴な血を受け継ぐ者。
その恩に忠実であるならば、私を助けてほしい。
オットーネ 皇妃様のご下命とあらば、何に代えても。
己の生命を差し出そうとも、御意のまま。
オッターヴィア そなたの剣により、ポッペアの血を以って、私への恩義をはっきりとお示しなさい。
私はあの女の死を望んでいるのです。
オットーネ 誰のとおっしゃいました?
オッターヴィア ポッペアです。
オットーネ ポッペアを殺す?おお神よ、なんということ、心臓が引き裂かれるようだ!
オッターヴィア 何を言っているのです?
オットーネ 皇妃様をお助けできる力をたまわらんと、祈っていたのです。
オッターヴィア 事が早ければ、それだけそなたに感謝しよう。すぐにとりかかるように。
オットーネ 私の命もこれまでか?
オッターヴィア まだ何かを言っておいでですね?はっきり言いましょう、私は怒っているのです、
ぐずぐずしているなら、代わりにその首をもらうことにしますよ。
オットーネ ネローネ殿に勘付かれたら、どういたしましょう?
オッターヴィア 女の服をまとっていくのです。ぬかりなく、うまくやりなさい。
オットーネ もう少しお時間を。この心を怒りに燃え立たせるために。心の準備がしたいのです。
オッターヴィア さっさと行くのです。
オットーネ どうか時間を。この手を剣に馴染ませるために。
オッターヴィア 私に従えないと言うなら、そなたが理不尽な暴力で私を辱めようとしたと、
ネローネに告発しましょう。
  そうすればそなたは拷問にかけられ、その命も今日で終わり。
オットーネ わかりました、皇妃様、まいりましょう。
おお、神よ、ひどい、心臓が引き裂かれるようだ!
 
 第10場
(ドルシッラはオットーネの約束に約束により励みを得、喜んでいる。
ヴァレットは年老いたナトリーチェをからかってふざけている)
 
ドルシッラ   ああ、喜びに胸が踊るの。
  暗雲と憎しみが去って、心に平和が戻ったのですもの。
  オットーネが再び愛を約束してくれる。
  心の内に、胸の中で、喜びと至福が重なるの、
  この胸の中で。
 
ヴァレット ナトリーチェ、あんたはドルシッラのような青春の悦びに何をはたいたのさ?
ナトリーチェ 世界中の黄金をはたいてやったさ。
それが今じゃ人様の幸せを妬んだり、自己嫌悪、退屈、そして頭の呆け。年はとりたくないね。
それこそ嫌な老いぼれの四大元素。あとはよろつきながら墓場へ行くだけときている。
ドルシッラ そんなに悲嘆するものじゃないわ、まだまだこれからよ。
黄金の夜明けは過ぎたけれど、まだ日は沈んでいないじゃない。
 
ナトリーチェ   この人生も半ばを過ぎて、ようやく人生の秋にたどり着いたの。
  そうすりゃ美貌も消えるもの。
  年月は嫌な思い出も、若気の至りの失敗も忘れさせてくれるけど、
  年をとれば瞬く間にダメになるの。
  私の言うことは本当よ、朝のようにさわやかな娘さん、
  青春というのは、夢が寄り添って歩いてくれる季節のこと。
  新緑の時季を無駄に行かせてしまってはだめよ。
  盛夏になれば、あまりの汗だくに恋の道行きどころじゃなくなるのだから。
 
ヴァレット いっそオッターヴィア(10月)のようにおなりなさいよ。
ナトリーチェ たたいてやるわよ!
ヴァレット たいそうなご婦人だこと!
カロンの艀(三途の川の渡し)の番人とでも仲良くするがいいわ!
ナトリーチェ ええ、そうしますとも、生意気なあばずれ小娘さん!
ヴァレット お昼どころか夜中も過ぎようとしているわね。
 
 第11場
(オットーネは、オッターヴィアからポッペア暗殺を命じられたことをドルシッラに告げ、
変装のための衣装を借りたいと頼む。
ドルシッラは、自分の服を貸したうえで、秘密を守ること、最大限の助力を約束する)
 
オットーネ 私は何処へ行けばよいのか。心は慄き、足取りは重たい。
私が息をするたびに、この胸の苦しみ、嘆きが吐き出される。
吐息よ、私の胸のなかで、哀れみの涙を流してくれ。
ドルシッラ どこへ行こうとなさるのです、あなた?
オットーネ 君に逢いに来たのだ。
ドルシッラ あなた様のために、私はここにおりますわ。
オットーネ ドルシッラ、君を信じて、重大な秘密を打ち明けよう。
口外しないことと、助力を約束してくれるだろうか?
ドルシッラ この血と私の命すべてに代えて、あなたを助け、協力するわ。
すべてあなたのため。どうかお話ください。
秘密を固く守り、この心とまことをお捧げします。
 
オットーネ   ポッペアへの嫉妬はもう心を去った。
ドルシッラ   喜びが心で踊るわ。
オットーネ   さあ、聞いてくれ。
ドルシッラ   胸がわくわくしてくるの。
 
オットーネ 聞いておくれ、私はおそろしい命令に従って、あの女の心臓に短剣を突き立てる。
その仕業を隠すために、あなたの衣装を身にまとう必要があるのだ。
ドルシッラ この衣装も私の命も、よろこんであなたに差し上げましょう。
でも、どうか用心して、油断なさらずに。
そしていつも感じてほしいの、私の運命も持てるものも、すべてあなた次第だと。
そうして、このドルシッラはもう昔の私ではない、気高い恋人であると認めてほしい。
  ああ、なんていう幸せ、
  喜びが胸にはずむ。
さあ、まいりましょう。私の手で、着替えをしてさしあげましょう。
でも、その恐ろしい計画について、私はもっとあなたから聞きたいの。
オットーネ とにかく行くとしよう、全てを聞いたなら、あなたはびっくりしてしまうだろうから。
 
 第12場
(ポッペアの宮廷の庭園。ポッペアは自分の恋の妨げとなっていたセネカの死を喜び、
その行く末の成功を神々に祈り、世話役であるアルナルタにも寵愛を約束する。
寝苦しさを覚えたポッペアは庭に出、アルナルタの優しい歌声に癒され眠る)
 
ポッペア   セネカが死んだ今、愛よ、再びお前のもとに帰りましょう。
  私の望みを港へと導き、私を皇帝の妻にしておくれ。
 
アルナルタ まだそのことを言っていらっしゃるのですね。
ポッペア 他のことは考えられないわ、アルナルタ。
アルナルタ 見境のない野心に安心はありませんですよ。
それでもお嬢様は王笏と王冠をお求めになるでしょうけれど、
私の言うことをお忘れにならないで下さいまし。
お嬢様のお心に留めてください。
ご機嫌とりの廷臣たちの言うことなど、信じてはいけません。
ユピテルにも、ただ二つ、出来ないことがあるのですよ。
彼は死を天国に招き入れることは出来ませんし、忠誠を宮廷から追いやることも出来ないのです。
ポッペア 本当にあなたは相変わらずなのね。
私の信用できる人は他にもいるから、大丈夫よ。
 
  愛よ、再びお前のもとへと帰りましょう。
  私の望みを港へと導き、私を皇帝の妻にしておくれ。
  ああ、胸のなかでまどろみが私を誘う、
  このまままなこを閉じようとさせているのね?
 
アルナルタ、このお庭で私を休ませて頂戴、
心地よいそよ風のなかで眠りたいわ。
 
アルナルタ おやすみなさい、ポッペア。私の大切なお方、どうぞ、ごゆるりと。
きっと神々がお護り下さいましょう。
 
  お嬢様、甘い眠りに誘われすべてを忘れ、ただ愛の夢だけに抱かれましょう。
  おやすみなさい、その淫らな瞳よ。
  眠っているときでさえ魅惑的なのに、なぜ見開く必要があるかしら?
  ポッペア、安らかに眠れ、その愛らしい瞳よ、おやすみ、このまま。
 
 第13場
(ポッペアが眠りに落ちている間に、彼女を死から護るため、
愛の神が天上界から降臨し、身を隠す)
 
クピド 何も知らずに眠っている、死の危険の差し迫っていることなど知る由もなく。
人間とは、無知のままこうして生きていくもの。
眠りに落ちてさえ、自分は危険を免れ安全だと信じているのだ。
 
  嘆かわしく、哀れな人の性よ、
  汝は神が見守るときもまた、こうして忘却の眠りを貪る。
Ritornello
  眠り続けるポッペア、地上の女神よ、
  汝は太陽と星さえ動かすことの出来る愛の力により、
  狂おしい殺意から護られるだろう。
Ritornello
  汝の死はすぐそこまで来ている。
  だが不幸が汝を見舞うことはない。
  なぜなら私、愛の神は、小さくはあるが全能であるから。
 
 第14場
(ドルシッラに変装したオットーネが、ポッペアを殺害しようと、彼女の眠る庭園にやって来る。
しかし、愛の神によって企ては退けれらる。
ポッペアは眠りから覚め、オットーネは、ドルシッラと見誤った侍女に追われて逃げ去る。
愛の神は彼女を救い、いつか皇妃として即位させると宣言して天上界へと戻り、2幕が終わる)
 
オットーネ よ、この姿を、私はオットーネではない、ドルシッラだ。
否、人間ではなく、怒りに駆られた毒蛇だ。
この世の者どもは、これまでもこれからも、二度とこの姿を見ることはない。
だがあれは何だ?私の見ているのは?
おお、お前は眠っているのか?二度と見開くことのない、その瞳を閉じて?
愛すべき瞳よ、眠りはそのヴェールで、この異様な光景を見ずにすましてくれている。
お前の死は、この私の手が運んできてやったぞ。
だが、ああ、心が乱れる、動揺が走り、心が置き所を失い、震える臓腑を暗黒が刺し貫くようだ。
ああ、むせび泣きながら、この戦慄から逃れ去ろうと、心がこの身から抜け出ようとしている。
否、何を躊躇する?何をぐずぐずしているのだ?
彼女は私を拒み、侮辱したのだ。それでもなお愛するのか?
オッターヴィアに誓った。もし意に沿えなければ、私が恐ろしい死に目に遭う。
道義ある者に裁きの場はいらぬ。私欲を越える目的を持つ者は大胆にならなければならぬ。
この行いが明るみに出ることはない。
ちっぽけな良心の訶責など、忘却の河に洗い流される。
ポッペアよ、これで最期だ。私が愛し、尽くした女よ、さらばだ。
 
クピド 愚かな反逆者よ、あえてこの神の力に挑もうとするとは!
本来ならば雷(いかづち)を以って打ち据えるところだ!
だがお前は神の罰にさえ値しない。
 
  この稲妻の矢鏃(やじり)から逃れるが良い。
  お前のことは死刑執行人に委ねることにしよう。
 
ポッペア ドルシッラ、私が眠っている隙に、抜き身の短剣など持って何をしているの?
アルナルタ   助けて頂戴、急いで、奴隷たち、女中たち、ドルシッラを追いかけて、
  逃がしてはいけない、早く、早く。
クピド   ポッペアを護った!
  さあ、彼女を皇妃にするのだ。
 
第3幕
 第1場
(場面はローマの町のなか。
ドルシッラが、もうすぐ恋敵ポッペアの死の報せを聞けることを期待し、
オットーネとともに幸せを見出せることを思って喜びにひたる)
 
Sinfonia
 
ドルシッラ   ドルシッラは幸せよ、希望に満ちているの!
  もうすぐ運命が決せられるわ。
  恋敵が死んで、オットーネがついに私のものになる。
  私の衣装が功を奏したなら、ああ、神様、本当に服にも感謝だわ。
  ドルシッラは幸せ、希望に満ちている!
 
 第2場
(初級官吏リットーレを伴ったポッペアの乳母アルナルタが、
己の運命を嘆き悲しむドルシッラを捕らえるためにやって来る)
 
アルナルタ 下手人はこの女ですよ、正体の発覚を恐れて服を変えたんだね。
ドルシッラ 私が何をしたと言うの、何を……
リットーレ 黙れ、お前の命運も尽きたぞ。
ドルシッラ 何の咎で死ななければならぬと言われるのです?
リットーレ 血に飢えた悪女め、まだシラを切るのか?
ポッペア様が眠っている隙に、その命を奪おうとしただろう。
ドルシッラ ああ!何を言うの、ひどい!服を変えたなんて、あり得ないわ!
誰かではなく、この自分の不運を嘆くなんて、軽率で無思慮だった。
 
 第3場
(ネローネがドルシッラの行為について尋問する。
ドルシッラは、恋人オットーネをネローネの怒りから護ろうと、自らは潔白であるにも拘わらず、
かねてから憎んでいたポッペアを殺そうとしたのだと言い、ネローネは彼女に死刑を宣告する)
 
アルナルタ 陛下、この女がポッペア様を刺そうとした下手人です。
この女が抜き身の短剣を携え庭に来たとき、ポッペア様は何も知らず眠っておいででした。
抜け目のない侍女が気付かなければ、狂った凶器が振り下ろされていたところです。
ネローネ この無分別な行為は何のためだ?
大逆の罪を唆した謀反人は誰か?
ドルシッラ 私は潔白ですわ、それは私の良心と、神様だけが知るところです。
ネローネ 違うであろう、言え、この大罪は憎しみのゆえか、誰か高官の指図なのか、
それとも金のためか。
ドルシッラ 私は悪くありません。良心と神様だけがご存知です。
 
ネローネ   鞭で打ちすえ、拷問にかけ、火責めにしてでも、
  首謀者と共犯者を自白させるのだ。
 
ドルシッラ たいへんな状況になってしまった。拷問にかけられたら、沈黙を通せるかどうか不安だわ。
刑の宣告でも、お咎めでも受けてしまおう。
アルナルタ 何をびくびくしているんだい?あばずれ女め。
リットーレ 何をぶつぶつ言っているのだ?この人殺し女。
ネローネ 何を言っておる?謀反人め。
ドルシッラ 陛下、私がポッペアを殺めようといたしました。
ともに罪を犯しましたのは、この心と手ばかりでございます。
かねてからの憎しみにより企てたことです。
それ以上ではありません。これが真実でございます。
 
ネローネ   直ちに処刑人のところへ連行しろ。
  ゆっくりと時間をかけ、長く苦しい痛みを味わわせるのだ。
  それがこの罪に対するふさわしき刑罰だ。
 
ドルシッラ 私の愛するお方、私がお墓に入っても、どうぞ私を愛してください。
どうかただ一度だけでも、愛情ではなく哀れみからでも構いません、
その御眼から、あなた様の心の奥底から、どうか涙を流してくださいまし。
まことの友、真実の恋人であるあなた様、私は処刑人のところへとまいります、
あなた様のことは、私の血のうちに隠しながら。
 
ネローネ   衛兵よ、何を戸惑っておるのだ?
  この女に千回の死を、千回の責めを与え、恐ろしい最期を迎えさせてやれ。
 
 第4場
(無実のドルシッラが責められている様を見ていたオットーネが、本当の犯人は自分であること、
皇妃オッターヴィアの命令であることを告白する。
これを聞いたネローネは、助命はするが、官位を剥奪して追放すると宣告する。
ドルシッラは一緒についていきたいと懇願し、二人して旅立つ。
いっぽうネローネはオッターヴィアに対し、離縁と流刑を宣告し、船に乗せて海へ流す)
 
オットーネ 違う、やめてくれ、刑の宣告はこの私に対しておこなえ。私が下手人だ。
ドルシッラ 私です、私が何も知らぬポッペアを殺めようとしたのです。
オットーネ 天界の神々はご覧のはず!彼女は無実だ。
私はオッターヴィア様の命令で、ドルシッラに変装し、ポッペアを刺そうとしたんだ。
ユピテルよ、ネメシスよ、アストライアよ、わが頭上にいかずちをおとしたまえ。
復讐の恐ろしい罰を私は待とう。
 
オットーネとドルシッラ Duo
  私は待とう。私は待っています。
 
オットーネ 陛下、その手で私を殺してください。
もし、私に尊厳ある死をお与えくださらないなら、許しを得られぬ以上、苦難の中で生きる道をお与えください。
ネローネ お前の命は奪わぬ。官位と財産を捨て、遠い砂漠の彼方の洞穴の中で、乞食か浮浪者のように生きるがよい。
それがお前の罪に対する報いだ。
そして、気位高き勇敢な女よ、お前はこの男を無私の心で守ろうとした。
余の慈悲のうちに生きることを許そう。偉大な勇気とともに生きよ。
そして我等の時代の、
  女の模範、忠誠の証しとして崇められるがよい。
 
ドルシッラ 私もこの方とともに行かせてください。どうぞ陛下、お認めくださいまし。
  私がこの方と生きる幸せを。
ネローネ それでは好きなようにするがよかろう。
 
オットーネ   陛下、罪ではなく祝福をくださるとは。
  彼女の徳と愛とは私の宝、生涯の喜び。
 
ドルシッラ   あなたとともに生き、死ぬことこそ私の望みの全て。
  私の得たもの全てを、運命の女神に捧げましょう。
  あなたは私の心の中に、ゆるがぬ愛と誠をお認めになりましょう!
 
ネローネ は勅令でオッターヴィアとの離婚を宣言する。
あの女には、ローマからの無期限の流刑を申し渡す。
  直ちにもっとも近い港へと連れて行き、
  頑丈な船を与え、
  オッターヴィアを風に任せて海へと出ださせよ。
余の怒りはそれで成就される、急ぐのだ。
 
 第5場
(ネローネは、今日こそポッペアを自らの妻とすると誓う)
 
Sinfonia
 
ポッペア   あなた、私は今日、新しい命の初花として生まれ変わりました!
  あなたと結ばれるために、生まれ変わったのです。
  この嘆息はその証し。
  死ぬのも生きるのも、あなた様のためですわ。
 
ネローネ そなたを殺そうとしたのは、ドルシッラではない。
ポッペア では、その卑劣な者は?
ネローネ 盟友オットーネだ。
ポッペア まあ、一人だけでの企て?
ネローネ 考えたのはオッターヴィアなのだ。
ポッペア それでオッターヴィアを離縁する恰好の理由が出来たというわけね。
ネローネ 今日、そなたは余の妻となる。約束しよう。
ポッペア 生涯初の祝福すべき日だわ。
ネローネ ユピテルと、皇帝たる余の名において、誓い、宣言する。
いま、そなたをローマの皇妃とする。
ポッペア 愛するあなた、愛の悦びが成就する時が来たのね。
 
ネローネとポッペア Duo
  私たちは至高の高みにいる。
  もはや心さえ失った。なぜなら互いのために、
  そなたは私の心を奪い、あなたは私の心を奪ってしまったのだから。
  そう、その瞳の穏やかな輝きとともに、
  愛するあなたの全てが、私の胸から心を奪い去ってしまった。
  この腕であなたを抱きしめましょう、
  私を刺し貫いてしまったあなたを!
  そなたに我を忘れても、この至福に終わりはない。
  そなたに幾度も見出され、あなたに何度も我を忘れ、
  ずっとあなたに夢中でいるこの私!
 
 第6場
(ポッペアの乳母であり相談役であるアルナルタは、ポッペアが皇妃の位につくことをいたく喜び、満足する)
 
アルナルタ   今日、ポッペア様はローマの皇妃とおなりあそばす。
  私はそのお方のお目付け役、出世の階段を昇ることになるわ。!
  もう「その他大勢」に甘んじることもないし、
  私のことを「あんた」と呼んでいた人々も、別の口調で歌うようにさえずるように、
  「奥方様」と恭しく呼ぶようになるの。
道で行きあう人達だって、
  「上品でお美しいお方」と言ってくれる。
 
たとえ私が古くさい伝説の魔法使いのように見えていたとしてもね。
皆がそうやってチヤホヤしてくれるのよ。
人々はポッペア様のごひいきを私に頼んでくるでしょう。
私はそのいかさまに気付かないフリをして、
  そんな人たちの口先だけのお世辞を飲み干してやるのよ!
 
私は使用人として生まれたけれど、死ぬときは貴婦人ね!
死ぬことなんて考えたくはないけれど、
もし生まれ変わったなら、今度は貴婦人に生まれ、使用人として死んでもいいわ。
  嘆きのうちに死んだとて、後に遺すものもないのだから。、
  使用人として喜びに生きて、苦労の最期を迎える者としてね!
  
 第7場
(ネローネから離別されたオッターヴィアは、皇妃の衣装を取り上げられ、
一人、国や家族と別れなければならぬことを嘆き悲しむ)
 
オッターヴィア   さらばローマよ、なつかしの国と人々。
  潔白であるがゆえに、去らねばならぬ。
  苦き悲しみを携え、私は行く。絶望のうちに、
  待つ者とていない海の彼方へ。
  刻一刻と、私の吐息はこの大気に混じり、我が心の名のもと、
  なつかしき町の城壁を眺め、そして口づける。
  私はたった一人で、過去の思い出にさすらい、そして涙しながら、
  冷たい岩に哀れを語る。
  ああ、無慈悲なる者たちよ、私を見て、そして祈ってほしい。
  どれほど遠く、あの恋しい岸辺から遠ざかってしまったか!
  ああ、悲しみという名の不敬の輩よ、
  祖国を追われ行く私に、お前は涙を流すのも禁じるのか。
  わが友、家族、ローマにこう告げるまで、私は涙を流せない、
  さようなら、と!
 
 第8場
(場面はネローネの皇宮。ネローネは厳粛にポッペアの戴冠式に出席する。
ポッペアはローマ市民と元老院の名のもと、執政官と護民官の手で王冠を授かる。
ヴィナスがクピドとともに降臨し、地上の美の女神としてポッペアに戴冠させ、オペラの幕となる)
 
Sinfonia
 
ネローネ おお、我が歓喜よ、ここに極まれり、特別なる頂きへ、荘厳なる高みへと、
そなたの下僕たる栄誉に包まれながら、世界と星々より讃えられん。
 
  幸いなるポッペアよ、そなたの至高の愛の勝利とともに、
  我が愛をそなたのためにここに刻もう。
 
ポッペア 未曾有の輝きに戸惑うこの心は、平静を失っておりますわ。
あなた様への感謝とともに。
 
ネローネ   そなたの瞳に見つめられれば、太陽もまた恥ずかしげに萎縮しよう。
  そなたの胸にとどまるならば、暁すら空から逃げ去るだろう。
 
ポッペア あまたの賛美の迷宮より出で抜けて、
あなた様の御前で謙虚にいようとするこの私をお認めください。
  わが王にして夫、かげがえのない愛するあなた。
 
ネローネ 執政官と護民官をここに呼び、そなたへの敬意を表させようぞ。
 
Sinfonia
 
執政官と護民官 Duo
  偉大なる支配者であられることを、ローマの全てが承認いたしましょう。
  そのおつむりに王冠を。
  アジアもアフリカも、あなた様の御前に跪拝いたします。
  ヨーロッパと幸いなるこの帝国をとりまく海は、
  あなた様を皇妃として支持し、帝国を支配するこの王冠を授けるのです。
 
人々の合唱 Coro
  身を低く、さあ、低くするのだ、
  翼を持てる者たちよ、愛する者のところへとその身を運べ。
 
Sinfonia
 
クピド   眩く輝く神々が現れ、ともに随伴するだろう。
 
人々の合唱 Coro
  天の頂きのアークトゥルスから、燃え立つように明るい光が射し出ずる。
 
クピド 母なるヴィナスよ、あなたのご同意のもと、ポッペアを地上のヴィナスといたしましょう。
 
ヴィナス   息子よ、お前の采配に満足しています。
  ポッペアを神々のうちに列するがよい。
 
人々の合唱 Coro
  さあ歌え、地上も天界も、歓喜の声で満たすのだ。
  いずこでも、かしこでも、呼び声を響かせよう、
  「ポッペア、ネローネ」と!
 
ネローネとポッペア Duo
  あなたを見つめ、あなたを求める。
  あなたを抱き、あなたと結び合う。
  もう悲しみも、死さえも存在しない。
  私はあなたのもの、あなたは私のもの。
  わが希望よ、伝えてほしい、
  あなたこそが私の、まことの愛の印であると。
  そう、私の愛であり、心であり、いのちなのだと。
 
終わり
 
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